美術評論家ロバート・モーガンは、アーティストの作品の創造意欲をかき立てる力とは、人生に必要な充足とは何かを知りたい欲求だと述べていました。
このプロジェクトを語る時、これ以上の言葉はありません。
ダライ・ラマの多岐にわたる本質を視覚媒体に置き換える探求の中で、意味とアイデンティティーの追求は、各アーティストにとって超えることのできない境界となりました。
世界中のアーティスト達と、ダライ・ラマとはどんな存在なのか、を討議しました。
多くのアーティスト達は、私がキュレーターとして参加した世界銀行、国際金融公社、国際平和カーネギー基金のアート・コレクション・プロジェクト等を通し、旧知の仲でした。
また世界各地のキュレーター達は、他の多くのアーティスト達を熱心に推薦してくれました。
候補アーティストのリストは瞬く間に増えました。
最終的に選ばれたアーティスト達の作品は、ダライ・ラマが伝えるテーマと理想を反映しています。
精神性の力、真・善・美などの超越的なものの神秘、全宇宙の相互関連、人の尊厳の重要性、平和の必要性。
アーティスト達は直感的に、この展覧会で自身が果たすべき役割を理解していました。
アーティスト達へは、この展覧会の主催団体による平和活動を支援するため、作品の寄贈が要請されました。
彼らは、ミュージアム・コレクションのレベルに匹敵する新しい作品を創り、このリクエストに応えてくれました。
新しい作品が集まってくるに従い、この展覧会は一人の人生の物語と云うよりも、ダライ・ラマにより擬人化された理想を共有する、アーティスト各人の物語だと云うことが明確になってきました。
このようにして浮かび上がってきたテーマは、この展覧会を構成する原則となっています。
展覧会は、ダライ・ラマに対するより具体的なコンセプトを持つ作品から始まる、螺旋状の構成とも言えます。
彼の要望、信仰、宗教そして祖国。
そして、より抽象的で普遍的なテーマへと広がって行きます。
人権の観念、平和や思いやり、亡命者達。
信仰あるいは信じること、変容や創生、普遍的責任、グローバリゼーション、そしてはかなさや無常観。
アートやアーティスト達の主要な役割の一つとして、私たちの人生を形成する影響力について考えさせてくれます。
アートの持つ、もの事を変換する力は、これらの影響力を自分自身の信仰、あるいは信じるものと照らし合わせるきっかけをくれ、自身のなかで膨らませていくための理解力へと変えてくれます。
これがこの展覧会での、各作品の目的でもあります。
教育し、影響を与え、変換し、注意を促し、そして癒しとなります。
各アーティストはこの展覧会に、作品のみならず私たちとの関係に於ける過程でも、ユニークな考え方を示しました。
この展覧会のための作品により語られた彼らの物語が、展覧会のテーマと交差し、意味を深め、同化しています。
例えば、ガザの難民キャンプで生まれたパレスチナ人アーティストのテイシー・バラケは、燃えた素材を使った作品を創りましたが、これは彼の家族が社会的大変動により祖国を追われた事実を示しています。
1959年より亡命生活を続けているダライ・ラマ同様、バラカも、本来の自分が居るべき場ではない所に身を置いていることと戦っています。
チベット人アーティスト、テンジン・リグドルによる“チベットの信仰の歴史”と題された大作は、ピカソの“ゲルニカ”を見たときと同様な感情を引き起こし、目に見える強い反戦メセージとして見る者の心を包み込みます。
(つづきます)