11 月14 日に出された法王猊下のコメント
2008年11 月20日 (木)
チベット内外のすべてのチベット人のみなさんにご挨拶を申し上げるとともに、いくつか重要な話を述べさせていただきたいと思います。
私は、とても若い頃から、チベットの政治が民主的体系へと変容することが、
チベットの即時的かつ長期的な有益のためには何よりも重要であると理解していました。
そこで、チベットの精神的・政治的指導者としての責任を担うようになってからは、
そのような民主的機構をチベットに樹立すべく力を尽くしました。
残念なことに、中華人民共和国の激しい弾圧下では、我々はこれを成し遂げることはできませんでした。
しかしながら、亡命生活に入ってまもなく、我々の政治の骨組みに思慮深い改革が導入され、新しく選出された議会が設立されました。
亡命下であるにもかかわらず、チベット人社会の民主化への移行は進歩を成し遂げたのです。
今日、亡命チベット人社会は本来の意味での真の現代民主主義社会へと完全に変容し、独自の憲章と一般投票によって選ばれた指導部で構成される行政府を持っています。
チベット人自らがチベットのために責任を取れる用意ができているという点において、
現時点でこれを誇りに思ってよいでしょう。
私が民主制度の樹立を奨励する姿勢を貫いてきた唯一の理由は、揺るぎのない持続可能な将来の政治システムをチベットのために確保しておく必要があったからです。
自分の責任を軽くしたかったとか、回避したかったからではありません。
我々が苦闘を続けていくためには、過去の歴史や経験を振り返って検討することも大切ですが、現在の世界情勢から学ぶことも極めて重要です。
すべてのチベット人は、中央チベット行政府という機構を支持するべきなのです。
そうすることで、亡命中のチベット文化遺産をチベット問題が解決されるまで保護することができるのです。
亡命生活に入って以来、我々は、同胞を招いて今後のチベットにおける重要な政治的決定について意見を述べてもらうことにより、民主システムの中枢機能を行使してきました。
現行の、チベットと中国双方にとって有益となる中道のアプローチは、議員をはじめとするチベットの人々を代表するリーダーたちとの討議と熟慮の結果として1970年代のはじめに生まれました。
しかも私は、ストラスブール提案において、「チベットの人々が最終決定を行なう」とはっきりと述べています。
1993年に中華人民共和国との接触が途切れた後、我々は、亡命チベット人の世論調査を行ない、信任を問う国民投票を行なうことが可能なあらゆるチベット地域からの提案を集めました。
それにより、チベットの人々にとって納得のいくかたちで、自由を求める闘争が進むべき道をチベットの人々が決定することになったのです。
チベットで集められたこのような提案の結果に基づき、亡命チベット議会は、この問題に関しては国民投票に問うことなく、引き続き私の裁量に任せるという決議案を可決しました。
その結果、我々は今日まで中道のアプローチを取り、2002年に中華人民共和国との接触が回復されてから8回の対話を行ないました。
中道のアプローチは国際社会に認められ高い評価をいただいているだけでなく、多くの中国人有識者も支持してくれていますが、それにもかかわらず、チベットにおける前向きな変化の兆しはまったく見られません。事実、中華人民共和国の対チベット政策は、少しも変わっていないのです。
2007年に行なわれた中華人民共和国の代表団との6回目の対話の後、近い将来にさらなる対話を行なう予定はまったくありませんでした。
しかし、今年3月の出来事の後にチベットの状況が切迫したことから、我々は非公式の会合を5月はじめに行ない、続く7月と11月のはじめに7回目と8回目の対話を行ない、あらゆる手を尽くしました。それにもかかわらず、少しも進展はありませんでした。
今年3月、チベットの三大地方(ウーツァン、カム、アムド)として知られるチョルカ・スム全域のチベット人が、若者も老人も、男性も女性も、僧籍にある者も一般市民も、信仰心のある者もない者も、学生達も、命をかけて、中華人民共和国の政策に対する長年の不満を平和的かつ合法的なかたちで表明しました。
その時点では、私は、中華人民共和国政府に期待をかけていました。
現実に即した打開策をみつけてくれるだろうと希望を抱いていたのです。
しかしながら、中国政府はチベット人の感情や強い願望を完全に無視し、デモに参加した人々を容赦なく弾圧し、「分離主義者」「反動主義者」という名目で告訴しました。
このような試練のなかで、私は、深い憂慮と痛切な責任感から、国際社会や中国に対して私が持ち得るどのような影響力をも使うことにし、胡錦濤国家主席には個人的に手紙を書きもしました。
しかし、私の努力は何の変化も生みませんでした。
当時はだれもが北京五輪に心を奪われていましたので、公の場に問いかける時期としては不適切と思われました。
今は適切な時期であると思われますので、9月11日、私は亡命チベット人憲章第59条に基づき、選挙で選ばれた指導者たちを早急に招集して特別会議を開くよう要請しました。
この機会に、参加者がそれぞれの属する社会の意見を持ち寄り提示し合えるよう、私は願っています。
今年にチベット全域の人々が見せた勇気、昨今の世界情勢、現在の中華人民共和国政府の非妥協的なスタンスを考慮するなら、参加者全員がチベットの民として平等、協力、連帯責任の精神において、チベット問題の解決に向けて今後取り得る最善の方策について話し合うことが必要です。
徒党的議論は脇におき、オープンな雰囲気のなかで行なわれるべきですし、むしろ、チベットの人々の強い願望や見解に焦点がおかれなければなりません。
参加者が最善を尽くせるように彼らと気持ちをひとつにしていただくよう、みなさんに呼びかけます。
この特別会議は、チベットの人々の真の意見や考えを理解するための自由でフランクな議論の場を提供するという明白な目的をもって召集されます。
あらかじめ用意された結論に到達することを目的とした会議ではありませんので、議事日程などがないことをどなたもご承知おきください。
2008年11月14日
ダライ・ラマ
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このような試練のなかで、私は、深い憂慮と痛切な責任感から、国際社会や中国に対して私が持ち得るどのような影響力をも使うことにし、胡錦濤国家主席には個人的に手紙を書きもしました。
しかし、私の努力は何の変化も生みませんでした。
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涙がこぼれます。
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