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23日の法王猊下の会見内容、詳細!!

2008年11 月27日 (木)

sun

寒い寒い一日です。

いかがお過ごしでしょうか?

ダライラマ法王の声明の日本語で読めるようになりました。

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23日ダライ・ラマ法王記者会見、校正版

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BBC,CNN,など世界中の主なメディアが注目して下さってありがとう。ローカル新聞もほぼ毎日報道してくれていることに感謝している。
チベットの問題は道徳的問題だ、正義の問題だ、だらかチベットを支援してくれる人たちはプロ・チベッタンではなくてプロ・ジャスティス(正義派)だと思っている。

私の言うことはこれだけだ。では質問を。


<いつかチベットにお帰りになるのか?>

みんなそのような信念を持っている。いつの日か、自分の故郷に帰るであろう。

個人的には仏教に従う者として、縁起を信じる。其々の個人は一人に見え、現象もバラバラに見える。しかしすべてはお互いに関連し合っているのだ。

広い視点、ホリスティックな視点、グローバルな視点が足りないが故に、世界では多くの問題が起こっている。チベットの問題も同様に人間の作った問題だ。広い視点を持って他者の利害を尊重し、考慮すべきである。よって、チベットの将来は隣接するインド、中国、世界の状況に左右するであろう。


私のこの世での第一の義務、責任は、人間の善き価値の増進だ(promote human value人間性の向上)。つまり世界に温かい心を増やすことだ。そこから他の者の利害を尊重し、他の者の苦しみに同情し、これを考慮にいれる態度が生まれるのだ。

二つ目には、世界の宗教間の調和を促進すること。

三つ目がチベット人を守ることだ。

私がチベットに自由の身となって帰れば、三つ目は終わる。
私が生きている限り、前の二つの責任は変わらず引き受け続ける。

世界の中でチベット問題は小さい事だが、これは人権と宗教だけの問題ではない。
チベットの問題はその特異な文化遺産の消滅の問題だ。この文化はあらゆる側面において仏教の影響を強く受けている。
チベットの文化を定義するとすれば、それは<慈悲の文化>、<非暴力の文化>と定義できる。
今の世界には正にこれが欠けている。

この思想をチベットはインドから学んだのだ。インドは我々の師だ。われわれは弟子だ。
インドに古くからある教え、アヒンサ(非暴力)とカル-ナ(慈愛)がその基となっているため、チベットの文化は世界で一番美しい文化だと私は思う。
だが、今この大切な文化が危険な状態に陥っている。この文化は滅亡の危機にあるのだ。

チベット問題はチベット人六百万人だけでなく、この文化を共有する、少なくとも中央アジア全体でヒマラヤ地区のインド、ネパール、モンゴル、ロシアに住む3、4千万人の人々に直接的に関係する問題である。同様に、他の世界の人々にも関係するであろう。
何故ならこのチベットの文化は世界平和に貢献できる。
心の静寂と慈悲の文化は必ず世界に貢献できるはずだからだ。

チベット問題のもう一つの側面は、環境問題だ。
あるアイスランドのエコロジー専門の学者が中国のエコロジストの論文を引用して、こう言っていた、
「地球には三つの極がある。北極、南極そしてチベット高原極だと。
チベット高原は世界の環境に与える影響からいえば北極と同等の重要性がある」と。

温暖化についていえば、地球全体の気温が0,1度上昇するときチベット高原は0.3度上昇するという。
これは主に高度の影響によるものだそうだ。
もしも現在のようなチベットの環境破壊が続けば、15―20年後にはインダス河は干上がり、ガンジス河、プラマプトラ河も危なくなるという。

ほとんどのアジアの大河はチベット高原をその源とする。
だから、チベットの環境を守ることはチベット人六百万人だけの利害ではなく、これら大河の流域で生活する何億という人々の利害に直接影響することであるから大事な問題なのだ。

さらに他の側面もある。
中国とインドは世界でもっとも人口の多い大国だ、故にこの二国が信頼に基づいた、真の友好関係を持つことは世界平和にとって大切なことだ。
世界の人口の約三分の一、20億人以上に関わる。
しかしチベットがこのままの状況であるならば、大量の中国の軍隊がチベットに駐留し続ける。
このことはインドを刺激する。チベットの問題が解決されない限り、インドの国境線は落ち着かない。
膨大な軍事費を強いられる。チベットに真の自治が実現し、平和が訪れ、環境が守られれば、両国に取ってその利益は大きいはずだ。

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<引退について>

リンポチェが首相になってから私はもう半分引退しているようなものだ、定年退職しているのだ。

私は1992年から、もしチベットの問題が解決されれば引退すると言ってきた。
そしてもう73歳になる。十年後には83歳だ。いずれ政治的な中心的役割からは退くであろう。
20年後には93歳である、どうしろと言うのか?
その頃にはもう年寄りすぎる。
私も一人の人間だ。
人間の権利として引退してもいいだろう。

しかし、はじめに述べた二つの約束は死ぬまで引退はないと考えている。
外見は年を取れば変わるかもしれない、もっとも髪は僧侶だから伸ばせないが、そうだカナダから来た一人のチベット人のようにモヒガンもできないが、、、スタイルは変わっても、この身体が死ぬまでは道徳的義務を負い続ける、引退はない。

ーーー

<今回の会議について>

今度の会議には一切口を出さなかった。
私が口を出すと自由な討論の障害になるだろうと危惧してのことだ。
大方の参加者は中道を支持した。チベット青年会議その他、独立を主張した者ももちろんいた。

それにしてもこの議会だけで将来は結論できない。
今月の末には国際支援者会議が開かれ、
多くの国々から参加者が集まる。
彼らの意見、感想、助言等も聞く責任がある。
だからまだ、今は何も言えない。
一か月待ってくれ。

ーーー

<後継者について。カルマパは?>

私が死んだ後に、必ずしもダライラマ制度が存続する必要はないと思っている。
今まで民主化につとめてきたことや、パンチェン・ラマの時に中国政府によってあまりにも政治化され過ぎたという経緯を考慮に入れてのことだ。

その時は次の転生者はいないということになる。
もし人々が望むなら、選挙で選ぶことも考えられる。
長老からということもありえる。
伝統的な方法で選び、女性もありえる。

原始時代には、すべての家族のものが責任を持っていた。
人口が増えて指導者が必要となってきた。
昔は体の強さが一番の基準だった。
教育は関係なかった。
ほとんど動物と同じだ。
頭は関係なかった。
だから男が社会を握るようになっていった。

次第に教育の方が体力より重要視され始めた。
こうして社会では女性と男性のほぼ同等の役割を持つようになってきた。
しかし、まだ指導者には男が多い。
21世紀に入った今、我々の教育と技術は相当に進歩した。この進歩、発達も人々の紛争を解決することに失敗している。
究極的には紛争は心の中から解決されるべきだ。
過度の競争心(少しの競争心は良いが)、異常な競争心、怒りや猜疑心、これらが究極的な紛争の源だ。
紛争、衝突は心から解決されるべきだ。

しかし、現代の教育には問題があると思う。
頭ばかりを鍛えることしか知らず、同等に温かい心を育てることに関心をはらっていないからだ。

千年ほど前に組織的教育というものが始まったころは、西洋では教会が道徳教育の役割を担っていた。
もちろんある程度、家族もこの役割を負っていた。
しかし現代社会ではこの伝統は衰退した。今の教育者は頭のことしか考えていない。
この面での伝統的な教会や家族の役割が望めない今、教育機関は頭の正しい発展と同等に温かい心を育てるという大きな責任があることを自覚すべきだ。

温かい心と慈悲の心を育てるには三つの道がある。
第一の方法は、宗教の信の力を借りて、神の永遠の愛を通じて人間性と愛の心を育てるというもの。

第二の方法は神を立てないが縁起、因果律を信じる人々によって採用されているものだ。
現象は原因と条件により果を得る。
その果を因としてさらなる変化が起こる。
神を信じない仏教とジャイナ教の人々はこの原理より、愛と慈悲の心を育てる。

今、第三の方法があるべきだ。
それは宗教に基づかない、世俗の常識と論理と共通の経験に基づき、温かい心と慈悲心を育てる方法だ。

この私も、ある程度の慈悲心を持っている。
この心を私は最初に母親から学んだ。
すべての人は母親の体内から生まれ、母親のミルクで生き延びた。
これは大事な点だ。

常識と経験と、それに科学の最近の発見なども役に立つだろう。
ある科学者が私に、「怒りと憎悪は免疫力を減退させる。
静かな心は免疫力を亢進させるのに大いに役立つ」と言っていた。

最近私は胆石の手術をした。
だからもうこの人には臓器が一つ欠けている。ハハハ!

私は手術後一週間で完全に回復した。
元気いっぱいになったのだ。
その回復ぶりを見て担当の医者も相当驚いていた。
私の心は一般の人々と比べると比較的静かだが、きっとこのことが回復に役立ったのではないかと感じた。

常識と経験と最新の科学的発見は、人々が静かな心とやさしい心を育てるための論理的根拠となるのだ。
この心を育てることは個人だけでなく、家族の幸せ、コミュニティーの幸せ、そして国際関係においても非常に大事なことだ。
この方法を私は第三の「世俗の一般的な方法」と呼んでいる。

そして私は、この社会に温かい心をもたらすには、女性のほうが大きな可能性を持っていると固く信じる。
生理的に女性の方が他人に対する関心が高いからだ。
科学者は女性の方が男性より痛みに対する反応が大きい、という。

ある時、確かヨーロッパから大西洋を越える際だったか?長時間のフライトの時だった。
同じ飛行機に、ある夫婦と二人の子供が乗っていた。
小さい方の子供はずっと寝ていたが、上の子供の方は悪戯で、あっちこっち走り回っていた。
最初の頃は父親も子供の面倒をみていた。
でも二、三時間後には父親は眠ってしまった。
暴れん坊の子供の相手をして疲れてしまったのだ。
しかし母親は夜通し、眠らずに子供の世話をしていた。
だから次の朝、母親の目は真っ赤だった。

これが女性の方が愛情深く、その愛情の力が他人の面倒を良くみさせるのだという証拠だ。
だから、これからは女性がもっと、世界平和と優しい心を社会に広める役割を積極的に引き受けるべき時が必ず来るであろう。
ダライラマの生まれ変わりは女性になるかもしれない。ハハハハハハハハ!

もうひとつの可能性として
死ぬ前に転生者を選択するというのもある。
ある検証により認められればその者が転生者になる。
これを我々は「マデ・トゥルク」と呼ぶ。これはそんなに珍しくもない。
少なくとも私の知る限り二人はいる。

おお、二番目の質問にカルマパのことがあったな?
カルマパはチベット仏教の伝統の中でも大事なラマの一人だ。
同様にカギュ派の中にも、サキャにも、ゲルックにも、それと何だったっけ?おおニンマにも、そうチョナン、ボン教の中においても第二世代の若い人たちの中に、できる僧侶がたくさん出てきている。
だから、私は心配なく死ねる。
きっと彼らが責任を持って、チベットの精神世界をしっかりと存続していってくれると確信している。

もちろんカルマパは若くてエネルギッシュだ。
中国の中での経験もある。
そしていまは自由な外の世界に出た。
これから大事な役割を担うことははっきりしている。

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<中国とチベットの共闘の可能性について>中国人の中国語での長い質問。

一般の中国人の中にはチベット人に対する反感は有ると思う。
民主主義の促進を目指すという点において、我々と中国本土の人々の要求の大方は一致する。

以前より、私はアメリカやヨーロッパ、オーストラリアその他の外国に行った時に、その地に住むチベット人に対し、もし中国人に会うようなことがあれば、必ず友人になるようにと言い続けている。
天安門事件の前には中国の知識人たちもチベット人の事をあまり相手にしてくれなかった。
しかし、天安門事件の後、彼らの態度は一変した。

多くの民主化運動家の学生たちが、事件の直後外国に逃れたが、そんな彼らと私はアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアで度々会っている。
私は彼らにいつも言っている。「あなた達は民主化のために、もっと社会が開けたものとなるように、法治国家になるために戦っている。
我々も同じだ、正義と民主主義のために戦っている。
故に共通の基盤を持っているのだ」と。
そういえば昨日もそのような中国人と長い論議をしたな。

民主主義と言うか、個人の自由を求める気持ちは本質的なものだ。
生まれて死ぬまで、個人の自由は大変重要だ。
生来、人は自由であるべきなのだ。

20世紀の前半には、世界の多くの国では全体主義が社会を良い方向に変えると考えられていた。
しかし、世紀の後半にはソビエトのように、経済破綻によりこの考えが間違っていたことがほぼ証明されるに至った。

すべての人々の自由への希求は、如何なる力に依っても止めることができない。
現在中国においてもこの欲求は益々強くなってきている。

特に今の胡 錦濤が<調和ある社会>を提唱することに、まったく賛成する。
<ワンシャントゥーミー>ハハハ、私は完全に賛成する。
しかし、真の調和は心から来るべきものであり、信頼に基づくものだ。
恐怖と弾圧の下でどうやって、信頼や真の友情、真の調和を育むことができるのか?
不可能だ!
リーダー達の中には「調和ある社会」を唱える者は多い。そ
れは素晴らしいことだ。みんなそのことを支持するであろう。
しかし、方法が間違っている。
弾圧は間違った方法だ。
調和は銃口の下には築けない。
調和は相互の信頼と尊敬、親近感からくるものだ。

ーーー

<将来の中国との対話について>

これはもっと後で決める。一か月待ってくれ。

ーーー

<中国政府への信頼が薄くなって行った経緯について>

3月10日のあと私は中国首脳部に「期待」したのだ。
今度こそ現実を見てくれると。
デモはチベット自治区で始まり、それから多くは自治区以外の地区で起こった。
しかし、今回も私の期待は外れたようだ。でもノープロブレム。

一つ話をしよう。
私の初めて経験した中国のヒポクラシー(偽善、詐欺)は、1955年、北京と中国の各地で数が月を過ごした後、その帰り道トンシンでのことだ。
そのころ私は少しだが中国語が話せた。
その時宿の主人の中国人がこう言った「チベットからの初めての使節団が中国の首脳部と会えたのだ。チベット人達はさぞ嬉しかったことでしょう。特にあなたがラサを離れる時にはチベットの人々は大層喜んでいたと聞きますし、、、」

それを聞いて私は言った。
「実際見たものとして言うが、私がラサを離れるために河を越えるとき、その河には橋が掛っていなかったが、ラサの人々が大勢、最後の別れを言うために河岸に集まっていた。
多くの者たちは涙を流していた。ある者は河に飛び込もうとした」と。

事実をその若者に言うと、
「そうなのか?でも新聞にはチベット人は歓喜に溢れてダライラマを見送った、と書かれていたよ」と言った。
これが私の経験した初めての中国の「ヒポクラシー」だ。

いや初めてではなかったか、もっと前があった。
私は中国に行く前に第一次大戦、第二次大戦、広島、長崎の原爆の事などはニュースで知っていた。
アメリカの戦艦の上で、マッカーサーを前に日本人が降伏のために署名をするところも見ていた。

中国のトンベ地域に行った時、そのシーンを撮った写真が飾ってあったのを見つけた。
そこで、ガイドの中国人に「これはどこの船か?」と尋ねた。
するとガイドは「あ、それはソビエトの戦艦だ」と答えた。
中国は普通、「日本はソビエトから北方を攻められることにより降伏した」と言っている。
二つのアメリカの原爆によって降伏したなどとは決して言わない。
これも「ヒポクラシー」じゃないか?そうだろう?「ヒポクラシー」でいいのかな?

数か月前、ラサの近くの村に里帰りしたというチベット人から聞いた話だが、村の村長は歓迎の会合の席で「我々は本当に幸せだ。みんな共産党のお陰で新しい家に住み、本当にすべてが良い」と言っていた。
次の日に村長の家に遊びに行くと、彼の顔は暗い。
どうしたのか?本当のところはどうなのだ?と訊くと、「ひどいもんだ。政府は家を建てるための補助金だと言って金をくれるが、まったくその金では足りない。だから家はボロボロだし。ほとんどのものは借金して、家を建てなければいけない。みんな今じゃ借金だらけだ」
「じゃ何で、昨日あんなことを言ったのだ?」と訊くと
「私はあのように言うしかないのだ」と言ったという。

1980年には卓越した共産党指導者であった胡耀邦氏がチベットを訪問する。
私の聞いたところによると、確かではないかもしれないが、彼は自分が訪問する前に、若い学生を中心に30名ほどチベットに送ったという。チベットを秘密裏に調査するためだ。
彼らの報告を受け、胡耀邦氏はチベットを訪問する前にすでにチベットの現状についての正しい知識を得ていた。
チベットに行った時、現地の役人が「チベットは美しい、すべてが上手くいっている」と報告するのを聞いて彼は役人たちを叱ったという。
このように全体主義国家においては、下の役人は偽善的報告をするものだ。

3月10日以後、私は中国政府がチベットの現実に向き合う勇気を持ってくれると期待した。現実的なアプローチを期待したのだ。
もう一つ、5月4日に非公式の会談が行われたが、このとき中国政府は異例にも、この会談に先立ってある国の大使を呼んで、これからダライラマの特使と会談すると知らせた。
さらに、ある日本のレポーターから会談の有無について訊かれ、会談のあることを認めただけでなく「会談には誠実に望む」と答えたと聞いた。
そこで私の期待はさらに膨らんだ。

今、もし正しく現実を認識し、現実的アプローチを選択するならば、我々は100%協力する用意がある。
我々は独立を求めていないし、分裂も望んでいない。

また、友人の友人から「指導者の中で誰と誰が話し合いに前向きであり。誰と誰がそうではない」などの情報を聞いた。
そして混ざり合った二通りのシグナルが送られてきた。
それにしても、その非公式の会談を受けて第7回の会談を7月4日に開くこととなったが、彼らの態度はさらに厳しかった。

何よりも、チベットの内地では平和的デモが、ただただ弾圧された。その状態が今も続いている。
この前、BBCにも「もうチベット民族は死刑宣告受けたようなものだ」といったが、この意味は、
今まさにチベットの精神、文化が一掃されようとしているということだ。民族の精神が失われるとは、それは民族の死を意味する。そうではないか?だから状況は非常に悲しいものだ。

私も馬鹿ではない。このようなことから信頼が薄らぐのも自然なことだろう。


3月10日のデモに関してだが、実際のデモは10日の午後に始まっていた。
3月10日には我々はいつもの行事として、ツクラカンに集まり、声明を発表したりする。
私はその日、体調が良くなかった。風邪をひいており、咳が出て、熱もあった。
そこで私は早めに会場を去った。

昼食の後、「今、ラサの街で、人々がデモを始めた」というニュースが入った。
実際、デモは10日に始まり、11日、12日、13日と続いた。
しかし、中国政府は14日からデモは始まったと言い続けている。これはどう言うことか?

現地の人々からの情報によれば、10日以降の数日中に、数台のトラックに乗った不審な見知らぬ一団がラサに到着したという。そして14日には放火、略奪等が起こった。
関連を疑う。

もっともこのことは100%確かなことではない、ちゃんと調査されるべきことだ。
だから、国際機関や中国が調査団を派遣すべきだと、私は最初から言い続けてきた。
チベットに行って普通の人々に会って、何が起こったのかを聴くことだ。
調査が必要だ。

中国の首脳は私がこの騒ぎを引き起こしたと言う。
だから私はいつも言っている、中国の役人、調査団をここによこして、何でも調べればいいと。
すべてのファイルを調べ、いろんな機会に私が話した内容を録音したテープ全部を聴けばいい、と。
私は新しい亡命者と会う時に、いろいろな話をする。
それらを聞いてチェックすればいい。
私たちは何も隠さない。いつでも見せる用意がある。
しかし、中国からは何の反応もない。私は今でも呼び続けている。

そこで、、、
「この中に中国のレポーターはいるか?」(と記者団を見まわし)
「あなたは中国からではないか?、、顔が中国人のようだが?、、、日本人か?」(と前の方にいた人を指す)
「日本人です」(某新聞社記者)
「そうか。日本人か」ハハハ。
「中国人はいないのか」
誰も手を上げない。
「この中に11人居るはずです」(情報官)

最初のころ中国のレポーター、新華社が来ているという情報があったが、、、だから、今日はこの会見に来ていると思っていたが、、、私は彼らを一週間招待した。私のゲストとしてすべてをちゃんと調べてほしいといった。でも、もうみんな帰って、誰もいないみたいだな、、、ok ノープロブレム。

そうだ、キツイ冗談として、「おしっこも調べてくれ」と言ったが、これにはちゃんと理由があるのだ。
それは、中国の役人の中に私が「B型肝炎を罹っている」という者がいると聞くし、数年前にはチベットの中で「ダライラマは癌を患っている。数か月の命だ」という噂を、中国のエージェントが故意に広めたりしたからだ。
だから、ちゃんと私のおしっこも調べてほしい。ハハハハハ!

これらが私の「落胆し、中国首脳部に対する信頼が益々薄れてきた」と言った理由だ。

しかし、私の中国の民衆に対する信頼は決して揺らいだことがない。
昨日も中国の人たちと話をしたが、、、この中に来ているかな、、、本当に親密な会話をすることができた。

中国がもっと開けた社会となり、法によって統治され、民主化されるべきだ。

今年の3月10日前にも少しはあったが、特に3月以降には100を超えるチベットを支援する記事、論文が中国人の作家、教授、知識人によって書かれ、発表されている。
みんな、チベットの「意味ある自治」を得るための戦いを支持してくれている。

3月の危機の後、4月にはアメリカに、5月にはヨーロッパのドイツとイギリスを訪問した。
この二ヶ月間はどこにいっても中国人のデモ隊が私を追いかけてきた。彼らは怒りに駆られていた。
ハハハ。
アメリカの秘密エージェントのアレンジで、そんな中国人数人と会うこととなった。テーブルを挟み、前には若い中国人が7人いた。
私は「我々は反中国主義者ではない。我々は中国人を尊敬する。その文化を評価する」と説明した。
「初めからオリンピックを完全に支持している」とも言った。
そのあと、3月以降に私が中国、世界、チベット人に訴えてきたことを説明した。

7人の内、2人だけが私の説明を聞いていた。しかし、他の5人は私の説明さえまったく聞いていない。
非常に感情的で、怒りに支配されていた。テーブルを挟んでいたからよかったが、そうでもなかったら彼らは私に飛びかかり、殴りかかっていたかもしれない。それほどに感情的だったのだ。

だから、それからできるだけ、中国の新華社を含めたメディアに積極的に会うことにしている。
アメリカにある、そうした中国語メディアには積極的に接した。その後のヨーロッパにおいても同様に中国人に説明し続けた。そして、オーストラリアに行った頃には、もう中国人のデモ隊は追いかけて来なかった。今は、少しはまともな情報、良い教育を受けたといえよう。現実に近づいたとも言えよう。

だから、私の中国人に対する信頼は揺らいでいないと言いたいのだ。

対話と言うと、これは対象別に二つに分かれる。政府相手の交渉と人々との対話だ。
中国の人々はいつまでも変わらずそこにいる。しかし、政府は政策の変更があったり、政府自体が変わったりもする。そして、リーダーが変わったりもするのだ。

ーーー

<今回の会議にチベット人の意見は十分反映されたと思われるか?>

93年から中国との接触が途絶えていた。
そんな状況から1997年には国民投票のようなものも行われた。チベット人の感情、意見を聞くためだ。
困難はたくさんあったが、色んな意見を聞くことができ成功だったと思う。
今回はネットの発達もあって、以前より効率的に広く意見を聴き、集約することができた。

私は常に言っている。
「我々の本当のボスは中にいるチベット人だ」と。
私自身はチベット人に対する「フリー・スポークスマン」でしかない。
亡命チベット人のコミュニティーは小さいが、しかし我々はすべてのチベット人を代表している。
なぜか?
中にいるチベット人には「言論の自由」がないからだ。
もし、本心を口に出すならば、すぐにその場で非難され、分裂主義者の汚名を着させられる。
そうだろう。だから、我々は彼らのために働かねばならない。
もちろん、あらゆる機会を通じて中にいるチベット人の意見を聞く努力は続ける必要がある。

ーーー

<脱宗教について>

チベットの憲法を定めるときにも、最初からその性格は宗教を離れている。

選挙によって首相が選ばれてからは、私はもう半分引退している。
2001年の選挙では、幸運にも(不幸にもか?)人々はもう一人の僧侶を選出した。
年も取っているし、、、(傍にいたサンドゥ・リンポチェの方を向き)ハハハ、、、でも私よりは若いか,ハハハ。髪も全く白いし、私の方が(黒くて)若く見えるけどな、、、ヒヒヒヒ!

社会においてはセキュラー(脱宗教・世俗)システムが一番だ。宗教を信じない人もいるし、他の宗教を信じる人もいるからだ。セキュラーと言うが、これは反宗教ということではない。
イスラム教のある友人はこのセキュラーシステムは宗教に反すると言って、これに反対する。
これは誤解だ。

インドにはこの伝統がある。
マハトマ・ガンジー師は深く宗教的人物であったが、一方で政治の分野では脱宗教を強く推し進めた。
インドの憲法もセキュラーなものだ。それがインドに合っているのだ。インド議会には沢山の党がある。
様々な宗教も政治に参加している。

世俗主義というのはすべての宗教を同等に尊重するということだ。
この宗教、あの宗教と言わないことだ。
同様に宗教を信じない人々も尊重されるということが含まれる。これも大事な点だ。

しかし、個人レベルの話をすれば、何らかの道徳的信念を持つ方が良い。
特にリーダーには大切な資質だ。
例えば、神を信じる人々は「神は見ている。こんなことをすると、神に罰せられよう」との思いから悪事を避ける。因果を信じる人々は「こんなことをすると、いつかこんな悪い果を受ける」と知って悪事を避ける。このようなことがあるからだ。
しかし、組織についていえば政治機関や教育機関は脱宗教であるべきだ。

ーーー

<会議の感想を>

この会議は、政府の者も、長老も若者も、真剣に自由に同等に議論を進めたと聞く。活発な討論が続き、熱くなる位だったという。何にも遠慮せずに、率直にそれぞれの思いを言い合ったことは非常に良いことだ。

ーーー

<中国民主化同盟系の中国人からの感想>の後に:

前にもいったが、89以降、中国の民主化、開けた社会を実現しようと努力している人々(中国のビジネスマン、学生、知識人、教授等)を全面的に支援している。
彼らも私のことを「仲間」と呼んでくれている。ハハハハハハ!
私はいつも民主化と正義の実現のために働いている皆さんと共にある。
これは道徳的支援だけではない、皆さんで会合を開かれるときがあれば私を招待してほしい、出席しよう。
目的は一緒だ。

チベットの格言に「100の病に効く一つの薬」というのがあるが。
民主化された中国、開かれた社会、すべてが透明で、正義に基づき、道徳理念を備えた中国が実現されれば、すべての問題、日本との、台湾、アメリカ、インドとの関係、中国国内の問題、チベット問題、ウイグル、モンゴルの問題は簡単に解決される。

それにしても、その間には北京からひどいことをたくさんいわれることであろう。
これは覚悟しておかないとね、、ヒヒヒヒヒ。

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