大晦日。
もう。
あと数時間で、2008年が終了。
「ミッシング・ピース 東京展」の最後のご報告が間に合いませんでした。
年内に終了するのがきれいな終わり方ではありますが、やはり報告はするべきですから
2009年になってしまいますが、お許しください。
年越しの準備、新年を迎える準備でお忙しい時間をお過ごしだと思います。
良い年をお迎えください。
オフィシャルサイトはこちら →THE MISSING PEACE
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大晦日。
もう。
あと数時間で、2008年が終了。
「ミッシング・ピース 東京展」の最後のご報告が間に合いませんでした。
年内に終了するのがきれいな終わり方ではありますが、やはり報告はするべきですから
2009年になってしまいますが、お許しください。
年越しの準備、新年を迎える準備でお忙しい時間をお過ごしだと思います。
良い年をお迎えください。
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こんにちは。
毎日更新していたこのブログ、
毎日チェックしてますよと言ってくださる方もいて、
たのしく書いてきました。
が、
そろそろ終わりがみえてきて、すこしづつ、すこしづつ、スローダウン。
テンポの早い曲がスローダウンして、
高音が低く低くなってついには、
「ウゥゥゥゥゥっっっっ」
止まって、音がなくなり、
静寂...............................................................。
あんなかんじで終わりたいと思っています。
といっても、今日、これで終わりではありません。
「終わり」を見届けようとチェックしてくださったなら、ゴメンナサイ。
わたしとしては、
収支のバランスもお知らせして終わりたいのです。
もちろん事こまかに紹介するのではなく、
どんなことにお金がかかるのか、
どこに落とし穴が隠れているのか、
どこが肝か...。
素人が5000万円規模のイベントをやることの全体をお知らせしたいのです。
やればできる、
できた!のですから。
年齢も、
キャリアも関係ありません。
「やりたい情熱」の量と継続力。
可能な限りたくさんの方に「熱」を伝えていくその情熱。
その熱がわいてくる泉を心に持てれば、
できます。
投稿情報: 14:36 カテゴリー: etc | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
「ミッシング・ピース 東京展」に関心を持ってくださった方の中の200数十名の方が
「mixi」の「ミッシング・ピース 東京展」という「コミュ」に参加してくださっていました。
これはすでに6月の時点で活動は停止していましたが、
コミュそのものは残っていたので、本日、削除しました。
最後の人数は184 名でした。
正式なロゴが決まるまではこのマークを使っていました(なつかしい~)
昨年11月から今年の6月までの約7ヶ月間のコミュでした。
準備段階のもろもろを教えてもらったり、こちらから情報を流したり。
そうこうする内に3月、チベット騒動が起き、意見交換、情報交換が活発になっていきました。
一日に何回も何回も書いたり、書かれたものを読んだり。
あの次期はいそがしかった~ですね。
不安でした。
「ミッシング・ピース 東京展」もほんとに開催できるのか、不安材料が少なからずありました。
「法王のお言葉」というトピックもたのしく、
あちこちでみつけた「お気に入り」のお言葉を紹介しあっていましたね。
しだいに準備がしっかりしてきたところで、正式なウエブサイトができ、
ブログという形で準備の進行をお知らせすることになりました。
不特定多数の方々に向けて、相手の顔が見えない中で文を書いていくことが重荷に感じることもありましたが、
やはり「習うより慣れろ」で、続けている内に自ずと流れができていきました。
今でもこのブログを書くことはたのしいことのひとつです。
ですが、
はじまったものはいつかは終わる。
たとえmixi のコミュという実体なきがごとくのようなものでも、なくなるとなるとすこし寂しいものがあります。
コミュの削除という手続きをしていて、最後の最後、「削除」ボタンを押す時には思わず「ありがと、ねぇぇぇ」とつぶやいてしまいました~。
もうしばらくでこのブログも終了します。
最終的なご報告ができるのが今週末か来週か、それではまだ、終了できないのか、
今はまだわかりません。
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今日、また、これを読んでくださっている方へ。
ほんとにお心にかけていただきありがとうございます。
あと少し、です。
今日は寒い一日です。
どうか風邪などひかれませんように。
あったかぁぁくしてお過ごしください。
投稿情報: 16:16 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか?
毎日、毎日更新していたこのブログ、「終わり」に向けてスローダウンしております。
11日に書きましたブログにコメントをいただき、
ダライラマ法王のノーベル平和賞受賞スピーチが見られるYou Tube を教えていただきました。
「ともこ」さま、ありがとうございました。
何回か、見ました。
最近の法王猊下に比べるとうんと低いお声です。
最初から最後までチベット語で話されています。
YouTube: Dalai Lama Retrospective
比較して味わうことができるように、
もうひとつ画像を載せてみます。
2006 年11月来日された時、
ミッシング・ピース東京展開催に向けてがんばりなさいと励まして言ってくださった様子を見てください。
もちろん皆が「平和」を望んでいます。人間だけでなく動物も、成長を好んでいると思います。春には鳥や動物や人間、すべてが新鮮な気持ちです。
すべてが、成長しているからです。
秋と冬は、休んでいます。
ですので、平和とは繁栄しているということです。
60億の人間の大多数は「平和」を望んでいると思います。
自分たちの人生において混乱を望む人などいません。
しかし、時々、目先の小さな利益、または権力への関心、経済的な利益、それも、
ほんの少数の人のための利益のために、何百万人もの罪もない人々に混乱がもたされます。
ですから、私たちの平和のための努力はほんとうに崇高な行為です。
そして、チベット問題。
第1に、私たちは非暴力の手段を厳しくつらぬいています。
必ずしも暴力を通じての戦いではなく、非暴力で平和的な方法によっても可能であることを私たちは世界に実際に示しています。
私はしばしば言うのですが、人々はほんとうに「平和」を求めています。
であるなら、非暴力の手段での戦いが成功するように支援すべきです。
この頃はチベット人でもだんだん多くの人が私に、非暴力、中道のやり方の結果はどうなんだと言い、オープンに批判します。
私たちに対する批判は増しています。
平和を促進するためには、非暴力でも問題を解決できると気づかせるために、なんらかの結果をもたらすこと、非暴力な方法で闘っている人たちが何らかの結果を達成することが不可欠です。
でなければ、武器を手に取らないと目的を達成できないとしばしば言うのです。
再びチベット問題ですが、見ての通りチベットは地理的にインドと中国の間にあります。
この二つの国は一番人口の多い国です。
この二つの国が、互いの信頼の元で真に友好的な関係にあることがアジアと、最終的には、世界の平和のためにとても重要です。
チベットの問題が現在のままである限り、中国の心は疑念で満ちています。
彼らは不安を感じているので、大量の軍隊をチベットに置かざるを得ないのです。
そして、インド人の心にも疑念を生み出します。
ですから本当のチベットの正常化、中華人民共和国の中で真の自治権を得られたら、
チベット人たちは満足しそれを通じて真の安定が育まれる。
そして、中国の軍を縮小することができる。
それがインドと中国の間に真の信頼を作り上げるのにとても重要な状況だと私は思います。
チベットの環境も、また、とても重要です。
中国からパキスタンまでの主要な河の源流はチベットです。(自然環境の保護が大切です)
すでにこれらの河は汚染されてるだけでなく、水の量も10年ごとに減っています。
とても深刻な問題です。
北インド全域と、中国の中心部、ビルマ、バングラデシュ、パキスタンなどの領域で10億人の人間の生活がチベットから流れてくるこれらの河に依存しています。
ですから、チベットの環境保護は600万人のチベット人の利益のためだけではなく、
10億人以上の人間の利益のためでもあります。
これはとても大切だと思います。
チベットの仏教文化の保存は、平和の文化、非暴力の文化、慈悲の文化の保存ですよね。
今はより多くの中国人がチベットの仏教文化に関心を示しています。
とても勇気付けられます。
ですから、チベットの仏教文化の保護は平和の保護の一環でもあります。
これはとても大事です。
ですから、あなたたちのチベットへの関心はとても平和とつながっています。
ですので、私はとても感謝しています。
ありがとう。
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English
Peace, of course, everybody wants.
I think, human nature, even animals loves growing.
So, spring time, birds, animals, human beings, everybody you see
also the fresh feeling because of everything growing.
Autumn, winter, even animal then they remain more rest.
So, peace means flourishing.
So I think, six billion human beings, perhaps very few people otherwise
majority, all want peace.
Nobody wants disturbance in their life.
However, sometimes I think for small interest for immediate gain or
for interest for power, interest for economy, interest for few people's benefit.
Then sometimes, this brings disturbances to millions of innocent people.
So therefore, our effort for peace is really very very noble work.
And then Tibet issue.
Firstly, we strictly follow non-violence.
That means we are actually showing to the world struggle not necessarily
through violence, just a struggle can be through non-violent way through
peaceful way.
So, I often telling people in many cases, people really want peace.
If that is the case then those struggle for non-violent ways we should help
them their struggle should be successful.
Otherwise nowadays among Tibetans also now, more and more now say
openly and critisize me what is the result of Non-violent way, middle way ?
More and more criticism towards us.
So, in order to promote peace, it is very very logically very essential
to bring some result, to achieve some result (for) those people who carry
struggle through non-violence so that the rest of the other people
then feel oh through non-violent we can solve the problem.
Otherwise people often say unless take arms you cannot sort of achieve goals.
And then also with Tibet issue, because of Tibet's geographical position
between India and China.
these two nations are most populated two nation.
So, genuine relation friendship on the basis of mutual trust between
these two are very important for the peace of Asia and finally peace of the world., very very essential.
So (as long as) unless Tibet issue remains like today in the Chinese mind...
as long as the presence of situation, the Chinese mind full of suspicion.
They feel unsafe, therefore they have to put a large number of soldiers in Tibet.
That automatically creates suspicion among Indian mind.
So, genuine normalcy of Tibet within the (People's) republic of China full autonomy then Tibetans get satisfaction and through that way genuine normalcy will develop.
Then Chinese soldiers can reduce.
That is one important sort of I think the aspect to build genuine trust
between India and China.
And then Tibetan environment also very very important.
Since all major rivers which cover China up to Pakistan all these major rivers
their ultimate source comes from Tibet.
So, preservation.
Already there are signs, not only pollution in these rivers, but also the amount of the water now decade by decade reducing.
So, this is serious sort of matter.
I think the whole northern India and also central China and also Burma and Bangladesh areas and all the Pakistan, I think together over one billion human being's life depend on those river that come from Tibet.
So, preservation of Tibetan ecology is, not only interest for six million Tibetan people, but also over billions of human beings lives, their interest.
I think that's very very important... one thing.
Then preservation of Tibet culture Buddhist culture is culture of peace, culture of non-violence, culture of compassion, isn't it?
Now there's more and more of Chinese really showing interest about Tibetan Buddhist culture you see very
very encouraging.
So, preservation of Tibetan Buddhist culture is also part of preservation of peace.
It's very very important.
So I very much appreciate it.
Thank you.
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投稿情報: 16:37 カテゴリー: etc | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
忘年会の予定が入ったり、お歳暮を贈ったり届いたり、
年賀状も、大掃除も....。
すこしづつ身辺があわだたしくなってきましたね。
ノーベル賞の授賞式。
すばらしいぃぃ.....
ドレスにティアラ、タキシードに白の蝶タイ.......
すてきさにうっとり、うとぉぉりしましたね
そして、想いだします...。
(↑ といっても実際にオンタイムでは見ていませんでしたから、その後の報道、いろんな画像を見ての記憶ですが)
1989年。
ノーベル平和賞、ダライラマ法王が受賞。
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国王陛下、ノーベル委員会メンバーの皆様、兄弟姉妹の皆様。
ノーベル平和賞受賞のため、本日ここで皆様とお会いできますことを私は大変に嬉しく存じております。
皆様がこの重要な賞をチベットから参りました一介の僧侶に与えてくださることに対し、私は光栄に感ずると同時に謙虚な気持ちで深く感動致しております。
私は、決して特別な人間ではないのです。
この授賞は、仏陀、そしてインドとチベットの善知識の教えに従い、私が実践しようとする利他心、愛、慈悲、非暴力の価値が認められた結果であると思います。
世界各地で抑圧の憂き目にあっている人々にかわり、また自由のために戦い世界平和のために活動している全ての人たちのために、私はこの賞を深い感謝の念をもってお受けします。
私はこの賞を、非暴力の活動をもって変革をめざすという現代的伝統の基礎を築いた人物 、マハトマ・ガンジーへの賛辞としてお受けします。
ガンジーの一生は、私に多くを教え励ましてくれるものでした。
そしてもちろん、私はこの賞を600万のチベット人、つまりチベット本土の勇敢なる我が同胞-過去、現在にわたり多くの苦難を耐え続けてきている人々にかわってお受けします。
チベットの民族と文化の独自性が計画的、組織的に破壊されようとしています。
この賞は、私たちの武器である真実、勇気、決意の力でチベットは解放されるだろうという信念を確固たるものにしてくれます。
世界のどこの人であろうと私たちは基本的に同じ人間であります。
私たちは皆、幸福を求め苦痛を避けようと努力します。
私たちは、等しく人間としの欲求や関心を持っております。
私たち人間は総じて、自由、及び自らの運命を決める権利を個人としても民族としても求めています。
これが人間の本質なのです。
東欧やアフリカをはじめ、世界各地で起こっている大きな変化は明らかにそのことを示しています。
今年(89年)の6月、中国では、民主主義を求める民衆の運動が軍事力で無残にも打ち砕かれてしまいました。
しかし、私はこのデモが無意味だったとは思いません。
なぜなら中国の人々の間で自由の精神に再び火がついたからです。
そして、世界中至る所に奔流となって流れるこの自由の精神の衝撃を中国が回避することは不可能です。
勇敢な学生とその支持者たちは、中国の指導部や世界に対し、あの大民族の人間的な素顔を見せたのです。
先週も、公開裁判の場で幾人かのチベット人に最高19年の懲役が宣告されました。
これは恐らく、本日の授賞式を控え人々を威嚇しておく意図のものでしょう。
彼らの「罪状」は、愛する祖国の独立回復に対するチベット人共通の願望を表明した、ただそれだけのことなのです。
過去40年間にわたる占領期間中、我が国民が強いられた苦痛は、よく文書に記録されています。
それは長い闘争の歴史です。
私たちの主張が正しいものであることをよく認識しています。
暴力はなお一層の暴力と苦痛を生みだすだけですから、私たちの闘争は非暴力に徹し憎悪から離れたものでなければなりません。
我が国民の苦しみに終止符を打ち、他の民族にも苦しみを与えることがないよう私たちは努力しているのです。
私が多くの機会を捉え、チベット・中国間の交渉を提案してきたのもそれを念頭においてのことです。
1987年、チベットにおける平和と人権を回復するための五項目プランの中で具体的な提案をしました。
その中には、全チベット高原を、人と自然が平和で調和を保ちながら共存できる平和と非暴力の聖域「アヒンサー地域」とすることも含まれています。
昨年(88年)私は、ストラスブールの欧州議会でこのプランを詳細にわたり説明しました。
その際に私が表明した考え方はあまりにも妥協的だとして1部のチベット人から批判されてきました。
しかし私は、この考え方が現実的で妥当なものであると信じております。
残念ながら中国の指導者たちは、かなりの譲歩を含むこの提案を積極的に受けとめていません。
もしこのような状況が続くならば、私たちの方もやむなく立場を再考せざるをえなくなるでしょう。
チベットと中国の関係が、いかなるものでも、平等、尊敬、信頼、互恵の原則に立つものでなければなりません。
ということは、チベットと中国の賢明なる指導者たちが、西暦823年の昔に締結した条約の原則に立ち戻ることにもなります。
その条件は、ラサにあるチベットで最も神聖な寺院であるチョカン寺院の正面に、今なお立っている石柱(唐藩会盟碑)に刻まれております。
その中には、「チベット人はチベットの大地で幸福に暮すように。中国人は中国の大地で幸福に暮すように…」と記されているのです。
仏教僧侶として、人類家族の全員、さらに感覚を有する全ての生き物の苦しみは無知が原因で生じるものだと、私は信じています。
人々は自らの幸福や満足を利己的に追求して他人に苦痛を与えています。
しかし真の幸福は兄弟姉妹の感覚からくるものです。
私たちは、人間どうしの、さらに私たちが共存しているこの惑星に対する普遍的な責任感を養う必要があります。
敵視する人々に対してさえも愛と慈悲の気持ちを生じるようにするために私たちの仏教が助けになることは明らかです。
しかし、信仰の有無にかかわらず思いやりの心や普遍的責任感を育むことができるのもまた確かであると思います。
私たちの生活に及ぼされる科学の影響が増大するのにつれ、宗教や精神性は、私たちの人間性を回復させる上でより大きな役割を演じるようになってきました。
この両者、科学と宗教の間に矛盾は存在しません。
それぞれがお互いに対する貴重な洞察力を与えてくれるのです。
そして、科学も仏教もあらゆる事物の根本的な単一性を説いています。環境に対する緊急かつ世界的な関心に基づき私たちが積極的で断固たる行動をとろうとするならば、いま述べたようなことを理解することがとても重要になってきます。
全ての宗教は、同じ目標、つまり人間の善を育みあらゆる人に幸福をもたらすことを追求しているのだと私は信じています。
手段は異なっているようでも目的は同じです。
私たちは、今世紀最後の10年間に入ろうとしています。
人類を支えてきた古来の伝統的な価値が復活し一層思いやりに満ちた幸福な21世紀を迎えられるだろと、私は楽観的に考えております。
私たちの全て、抑圧者も友人も含め、全員のために、私は祈ります。
人間に対する理解と愛を通じて、より善き世界の建設に成功しますように。
そうすることにより、生きとし生けるものの苦痛を、
和らげることができますように・・・
ありがとうございました。
1989/12/10 ノルウェー、オスロ での法王のスピーチ
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/message/1989_nobel_peace_prize.html
ダライラマ法王日本代表部事務所のサイトより転載。
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ヨーロッパにいらして法王はお留守ですが、
ダラムサラではノーベル賞受賞を記念してこの日は、休日だそうです。
このスピーチを聞きたくて、「You Tube」で検索してみましたが、うまくヒットしませんでした。
ここ数日、次期大統領・バラク・フセイン・オバマ氏の勝利宣言をくりかえし聞いていたのですが、法王のお声で聞いてみたくなりました。
法王の受賞スピーチ、DLできそうなところがあったら教えてください。
投稿情報: 14:08 カテゴリー: etc | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
いいお天気の休日、いかがお過ごしでしょうか?
このブログ、読んでくださってありがとうございます。
「ミッシング・ピース 東京展」開催期間が11月9日で終了してから、
すでに、
ひと月たちました。
24日間のアート展。
始まってからしばらく経つと観た方の口コミが効果を発揮し、
ゆっくり・ゆっくりいらしてくださるお客さんが増え、
会期終了に向けてどんどん右肩上がりに。
会場が温かく・熱くなっていったころに、
終了!。
あぁぁぁ、
あの時点からあと2週間、
延長できたら........................................。
さらにさらに「熱い」「濃い」アート展になったのに.....とさびしいような残念なような想いを抱えて後処理をしてきました。
会計の整理もそろそろ終了。
もうすぐ、結果がわかります。
残ったのか、残らなかったのか。
残ったとしたら、
寄付できるのか。
いくら!なのか?
どこへなのか?
キリがいいので、
なんとか年内にすべて完了させて、
年内にサイトもこのブログも終了。
こうなるように進んでいます。
あと半月。
終了してしまうなら、
これだけは言っておきたい、
これだけは紹介しておきなさい....など、
ご要望・リクエストがあればお知らせください。
たのしい休日を!
投稿情報: 12:23 カテゴリー: etc | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
またもや波戸場さん登場です。
これで6回目の登場!
いったい誰がこの登場回数を予測したでしょうか?
波止場さんは、もとい、
名前の綴りが間違っていました。
波戸場さん。
止でなく戸。
波戸場さんはもちろん多才な方ですが、
職業は、
「紋章上絵師」。
紋章、上絵、師?
http://veeschool.com/contents/lesson/sp_12/
紋付きや留め袖などの着物に家紋が入っていますが、
この家紋を上絵筆(極細の筆)で墨描きすることを「上絵」といって、
その職人を「紋章上絵師」とよぶのだそうです。
おじいさまが京橋で紋屋を創業。
彼は3代目。
「ひと言で紋を描くといってもすべて手描きなので高度な技術が必要です。
例えば筆で一本の線を描くにしても、太さや濃さを一定に保たないといけないのです。
円は分廻し(竹製のコンパス)に筆をつけて描きます。
丸い円を描くにもそうで、そうそう同じバランスでは描けないもの。
納得のいく線を描けるまで多くの時間がかかりました」
「今、どれだけの人が自分の家の家紋を知っているでしょうか?
各家々に家紋を持っていることは世界的にも誇れることです。
先祖代々受け継がれてきた文化遺産ともいえる家紋を、皆さん自身が構成へ伝えてほしいと
願い、若い世代の人たちに敷居が高いイメージがある家紋をもっと身近に感じてほしいとの思いから「ユナイテッド・アローズ」さんを通じて家紋刺繍入りTシャツを販売させていただいております。
今までにない試みだったのですが、若者向けの雑誌あどで取り上げられ家紋に興味をもつ人々が増えてきています。
今年はT シャツだけでなく、家紋入りの「合財袋」なども制作しています。
自分なりの方法で家紋を伝えていく、それがわたしの使命だと思っています」
「取材・文/スタイルワークス」さんより引用。
http://veeschool.com/contents/lesson/sp_12/
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そうだったのかぁ。
あれは、波戸場・父さんの手描き「「ミッシング・ピース」だったんだぁ。
10月16日、「ミッシング・ピース 東京展」のオープニング・レセプションで、
ユナイテッド・アローズの重松氏の友人としていらしてた波戸場・父さんから額に入ったものをいただきました。
「絵」?「イラスト」?「版画」?
司会・進行していたし、たっくさんのお客さまをお迎えしていたので、ゆっくりお話することもなく、
「どうぞ」と言われるまま、
「ありがとうございます」と言って受け取ったのでした。
それが、これです。
「The Missing Peace 」と入っているのがおわかりでしょうか?
なんとも凝っています。
どれだけ時間がかかったことでしょう。
あげてもその値打ちがわからない、わかろうともしないアンポンタンなわたしに波戸場・父さまはどれだけがっかりされたことでしょうか。
今頃になって、愕然としてしまいます。
波戸場・父さま、
波戸場承龍さま、ここで非礼をお詫びして、
あらためてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
ユナイテッド・アローズで売っている人気の「合財袋」
これをParis の展覧会に出品されたようです。
お茶目な波戸場・父さまはParis のルーブル美術館でもあの有名な「ミッシング・ピース 」着物を着用して、
あの「ミロのヴィーナス」の前でもぱちり。
それが、これです。
拍手、拍手、拍手。。。。。
投稿情報: 09:28 カテゴリー: etc | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
もうすっかり時期はずれの話題かもしれません。
アメリカの次期大統領、バラク・オバマ氏の勝利宣言、もうお聞きになったことと思います。
すばらしい...............................................................,です、ね。
「ミッシング・ピース 東京展」で手一杯、頭にも心にも余裕がなかったので、
11月4日のスピーチをオンタイムで楽しむことができませんでした。
おととしの暮れ、San Fransisco 近郊、Berkley のお気に入りストリートを歩いていて、
こんなことがありました。
路にオバマ陣営の広報デスクが出ていました。
オバマ・ファンだったわたしはそのデスクに行き、
「良きアメリカ人」然として座っている、白人・中年女性に言いました。
「わたしにはこの選挙の選挙権はありませんが、オバマ氏のファンです。
少額ですが寄付したいと思います」
するとその女性は、
「寄付は不要です。このバッジを差し上げますから周りの方に宣伝してください」
といってキャンペーン・バッジをひとつ、くれました。
東京に帰っても誰かに見せることもなく、このバッジを「役にたてる」ことはできませんでした。
長い長い大統領選の折り折りにオバマ氏のいろんなスピーチを聞き、いろんな表情を見てきました。
ヒラリーかオバマか、
マケインかオバマか....。
最後の最後、投票日前後というものは
「ミッシング・ピース 東京展」で心も頭もいっぱいだったので、
オバマ勝利、初の黒人大統領誕生というできごとを、
ゆっくり味わう余裕がありませんでした。
が、
ついに3日前、
聞きました。
You Tube の画面に見入ってしまいました。
感動、感動、感動でした。
ふるえるほどの感動です。
くりかえし、くりかえし、気がすむまで見ました。
英語テキストをダウンロード、コピーして、
和訳テキストをダウンロード、コピーして、
ついに17分のスピーチをまるごとiPod におとしこんで、
キッチン仕事をしながら、
散歩しながら、
幾度も幾度も聞いていました。
ふとあるフレーズに焦点があたりました。
And all those watching tonight from beyond our shores, from parliaments and palaces, to those who are huddled around radios in the forgotten corners of the world, our stories are singular, but our destiny is shared; and a new dawn of American leadership is at hand.
To those who would tear the world down. We will defeat you.
To those who seek peace and security. We support you. And to all those who have wondered if America's beacon still burns as bright, tonight we proved once more that the true strength of our nation comes not from the might of our arms or the scale of our wealth, but from the enduring power of our ideals: democracy, liberty, opportunity and unyielding hope.
この国から遠く離れたところで今夜を見つめているみなさん。
外国の議会や宮殿で見ているみなさん、
忘れ去られた世界の片隅でひとつのラジオの周りに身を寄せ合っているみなさん、
私たちの物語はそれぞれ異なります。
けれども私たちはみな、ひとつの運命を共有しているのです。
アメリカのリーダーシップはもうすぐ、新たな夜明けを迎えます。
この世界を破壊しようとする者たちに告げる。
われわれはお前たちを打ち破る。
平和と安全を求める人たちにお伝えします。
私たちはみなさんを支援します。
そしてアメリカと言う希望の灯はかつてのように輝いているのかと、それを疑っていたすべての人たちに告げます。
私たちは今夜この夜、再び証明しました。この国の力とは、もてる武器の威力からくるのでもなく、もてる富の巨大さからくるのでもない。
この国の力とは、民主主義、自由、機会、そして不屈の希望という私たちの理想がおのずと内包する、その揺るぎない力を源にしているのだと。
------------------------------------------
赤くしたところです。
And all those watching tonight from beyond our shores,
この国から遠く離れたところで今夜を見つめているみなさん。
to those who are huddled around radios in the forgotten corners of the world
忘れ去られた世界の片隅でひとつのラジオの周りに身を寄せ合っているみなさん、
------------------------------------------
チベットやウィグルやビルマで、
ラジオの周りに集まり肩をよせあって聞いている人たちに言っているのだと気づきました。
音量を小さくして、Voice of America やFree Radio Asia に聞き入っていた人たちはこのスピーチに希望を感じ、はげまされたことと思います。
私たちの物語はそれぞれ異なるけれど、
でも、私たちはみなひとつの運命を共有している、
平和と安全を求めるあなたたちを、
私は、
みなさんを支援します。
次期アメリカ大統領が言っているのです、
「みなさんを応援します」って。
Change has come to America.
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今しばらくは、このスピーチがなによりの音楽、です。
投稿情報: 13:07 カテゴリー: チベット | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
上田紀行さんがスタンフォード大学で教えていらした時の報告。
上田さんからご許可をいただいています。
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ダライラマのスタンフォード訪問報告
2005年も押し詰まって参りましたが、皆さまお元気でお過ごしでしょうか。
こちらは、やっと秋学期の講義も今月初めに終わり、やっと休暇に入りました。
講義はたくさんのエネルギーを傾けることとなりましたが、得るものがとても大きく、ほんとうに良かったと思っています。
講義の最終回は学生の出席がいつもとても少ないとのことでしたが、ほとんど全員が出席でした。
仏教のことをほとんど知らない学生がほとんどだったのに、毎回の課題論文や講義とディスカッションの積み重ねで、最後には仏教と社会変革に関しての高度な議論が交わされ、感動しました。
それとともに、こういった講義は日本でこそ為されなければならないのに、という思いも強くしました。
こちらはクリスマスが最大の年中行事。
ところがクリスマス前1週間くらいから、毎日雨模様の天気となり、気温が上昇し(最高18度、最低9度くらい)、感覚としては「梅雨のクリスマスシーズン」といった感じで、「西洋のクリスマス」らしくもなく、「カリフォルニアのクリスマス」というイメージでもなく、何だこれは?でした。
今はこちらは雨期ですので、これが普通なのですが。
幸い、クリスマスイブの日は一転して晴天となり、ほんとに気持ちのいい日となりました。
さて、今年起こったことで、一つご報告を忘れていることがあることに気づきました。
ダライラマのスタンフォード訪問〉です。
来年になってからのご報告では間が抜けていますので、もう一ヶ月半も時間が経ってしまいましたが、今年中にご報告をいたします。
さて、ダライラマのスタンフォード訪問は、今年のスタンフォード大学の行事の中でも最大のものでした。
こちらでのダライラマの人気はものすごく、二回の半日セミナー、それプラス一日セミナー、合計3回のセミナーのチケットは、入手困難を極めました。
学内スタッフへの優先売り出しはあっという間に売り切れ、私も一般の売りし日にコンピュータの前に陣取って購入しようとしたのですが、開始後2時間はサイトにつながらず、つながったときには既に最もいい席は売り切れで、何とか後ろのほうの席をゲットしたという次第です。
今回のダライラマのスタンフォード訪問は、〈スタンフォード大学・アジア文化宗教イニシアティブ〉(アジアの宗教と文化を研究・教育するための、学科を超えた組織)の中に、〈チベット研究イニシアティブ〉が創設されることになり、その記念として行われたものです。
上記のアジア文化宗教イニシアティブ、仏教学研究所のほか、スタンフォード大学医学部、宗教生活オフィスほかの主催で行われました。
スタンフォードでのプログラムは二日間で、以下のようなものです。
11月4日
9時半―11時半 瞑想と講義 大体育館
12時―2時 ランチ・レセプション
2時半―4時半 非暴力の心(核心) メモリアル教会
11月5日
10時―4時半 渇望、苦悩、選択:人間体験に関する霊的・科学的説明
(仏教と脳科学の対話) メモリアル講堂
私は上記のうち、11月4日の「瞑想と講義」「ランチ・レセプション」、
11月5日の一日セミナーに参加しました。
このセミナーの中でいちばん問題をはらんでいて、その後議論を呼び起こした
のは、私が参加しなかった「非暴力の心(核心)」だったのですが、その点については最後にご報告することとして、まずは時間順に追っていきましょう。
まず大体育館で行われた「瞑想と講義」ですが、まずは詰めかけた人数にびっくり。
7500人収容の体育館が満員です。
後ろのほうのチケットしか取れなかったので、スクリーンでダライラマのご尊顔を拝することとなりましたが、この席でも35ドル(4000円)。
周りを見回せば、学生たちの多いこと。
ダライラマはこんなに若者に人気があるのか・・・。
驚かされました。
さて、私はダライラマの講演を聞くのはこれが3回目です。
これまでの2回はインドでしたが、アメリカでどのような語り口をするのかが興味あるところでしたが、なるたけ英語で語り、複雑なところのみ通訳を介するという方式での、これまでのダライラマの温かく、明快で、フランクな語りは変わるところがありませんでした。
また、会場が若い人たちで埋め尽くされているのを見て、ダライラマも「若い人向け」の方向性が強かったように思えます。
どんな宗教に属していようが、西洋、東洋であろうが、誰もが幸せを望んで生きている、そこに何の違いもない・・というメッセージから開始されたこの講演は、ダライラマの大らかさが何よりも目立ったセミナーとなりました。
そこには「世界は良きほうに向かっている」という明るい認識がベースにあります。
以前は誰も人権とか環境とかに目を向けていなかったが、今はそうではない。
明らかに世界は良きほうに向かっているし、それは人類がこれまで苦悩に立ち向かってきた結果によるものだと、歴史をポジティブに捉えます。
その中で、私たちの認知がネガティブな感情によって歪められ、世界のリアリティーを捉えられないことから不幸が生じるとして、知識の習得の教育だけではなく、自分自身の心を知ることが必要だと説きます。
お金があって、権力があって、素敵なボーイフレンド/ガールフレンドがいても、それが人生の幸せを保証しない。
自分の心の平安を知らなければ・・・。
そして、無知に基づく、執着や嫉妬、怒りといったネガティブな感情ではなく、慈悲や愛情、許しといったポジティブな感情から世界を見ることが必要だ。
それは仏教に限らず、全ての宗教が共有している価値である・・・。
こう書くと、実に当たり前の話なのですが、そこはダライラマ、温かく大きなエネルギーがユーモラスな語り口の中で放射されてくるので、若者たちのハートにもダイレクトに届いていたように思われました。
面白かったのは「瞑想」の位置づけ。
アメリカをはじめとして、西洋人にとって、仏教とは瞑想であると考えている人が多く、それ故に日本仏教のお念仏などは理解されにくいのですが、ダライラマは「瞑想」に対する過度の信仰を諫めます。
「怒りから解放され、心の平安を得るといって瞑想している行者の邪魔をすると、「何で邪魔をしたのか」と怒り出す。
これじゃあ瞑想の成果はない」と聴衆を笑わせた後、「私とは何か」といった抽象的なことを問う瞑想ではなく、具体的に怒りが発する情景を思い浮かべたり、戦争や饑餓や天災で苦難に貧している人たちの姿を思い浮かべたりしながら瞑想する、「分析的瞑想」を薦めます。
そして、「皆さんにとっては20分でも長すぎる。私だって15分経つと体が痒くなってきたりするから」と、何と瞑想は5分間だけ!
「瞑想と講義」というタイトルのセミナーですから、瞑想好きの人たちは30分くらいは瞑想すると思っていたでしょうに・・・。
しかしその5分間は7000人の聴衆が静寂の中で様々な思いをいだいた、素晴らしい時間になりました。
次の日に行われた一日セミナーは、医学部の主催でした。
これはたいへん大がかりなもので、午前と午後の部とも、5人の自然科学者、3人の仏教学者、そしてダライラマが壇上に上がり、午前中は「渇望(渇愛)」について、午後は「苦」について、脳科学と仏教の双方の見解を統合していこうというもの。
このテーマだけ聞くと、ものすごくエキサイティングで、時代の最先端を予見させるものなのですが・・・、しかし現実はちょっと議論が噛み合わないという印象を強く残したものとなりました。
午前午後ともまず脳科学者からプレゼンテーションが行われました。
例えば「渇望」について、脳のある部分の脳内物質の分泌異常がアルコール依存を引き起こしていると説明します
。
しかし、仏教の「渇愛」は、諸行無常で移りゆくものに対して執着してしまうといった哲学的、実存的地平のものですから、その間のギャップを埋めるのはまだまだ難しい。
議論が進むにつれ、ダライラマ自らが「私はこの議論に混乱している」と述べ、そのときに会場がいちばん沸いたということが、この場を物語っていたように思えます。
もっとも、私の座った席が非常に音響が聞き取りにくい席で、なおかつ10人もの人間が次から次へと、それもあるときは脳内物質、あるときは仏教の深淵について語るわけで、さすがに話の流れをつかみ損なったところが多々ありますので、もう一回聞き直せば印象も変わってくるのかもしれません。
いずれにしても、仏教は渇愛、執着、苦、煩悩といった人間の実存的な問題に関して2000年以上もの間、思考と実践を積み重ねてきたわけで、いくら脳科学が近年大きな進歩を見たとしても、まだまだそれが人間の実存のレベルに到達するには難しいのではとの印象を持ちました。
このセミナーもたいへんな人気で、1000人あまり収容の講堂は満員。
チケットも日本円で1万円くらいすることを考えると、すごいです。
ランチタイムに一緒のテーブルに座ったご夫婦は東海岸のボストンからこのためにアメリカを横断(片道4300キロ!)、
80歳のおばあちゃんとその娘もデンバーから飛んできていて、びっくりしました。
さて、今回のダライラマの訪問で、後からいちばん話題になったのは、「非暴力の心(核心)」という半日セミナーでした。
仏教は西洋においては「絶対的非暴力主義」として捉えられることが多いように思います。
十字軍などの戦争を引き起こし、異世界を制圧してきた歴史を持つキリスト教、その「伝統」がブッシュ政権にも受け継がれてきている中で、絶対的非暴力主義としての仏教に人々の大きな期待が集まっているわけです。
そして、現代仏教の指導者のひとりであり、ノーベル平和賞受賞者のダライラマが「非暴力」の核心を語るとなれば、人々の期待はいやが上にも高まるところです。
私はこのセミナーに参加していないので、ビデオを見てみました。
聞き手は、スタンフォード宗教生活オフィスの長にして、牧師でもあり弁護士でもあるスコッティ・マクレナン教授でしたが、冒頭から問題の核心に迫っていきます。
仏教は非暴力主義を取るが、家族が襲われたような時にも、正当防衛としての暴力の行使はあり得ないのか?」
ダライラマの答えは、「正当防衛はあり得る」。
非暴力とは現実に暴力が行使されているのかどうかよりも、その動機において暴力性があるのかどうかが問題なのだ。
だから、愛情に満ちた学校の先生や親が、生徒や子どものためを思って厳しくしつけるのは正しい。
マクレナン教授はさらに続けます。
「キリスト教においても、暴力の行使については三つの教えがある。
第一には十字軍的な制圧。
これは現代では否定される傾向だ。
第二が、正義の戦い。愛を持ちつつも、暴力に対して正義を持って戦う。
第三が絶対的非暴力主義で、一切の暴力の行使は行わない。
仏教はどの立場か?」
ダライラマは、第二の正義の戦いに寛容な立場を取ります。
自分の中の憎悪や暴力性に気づかないで、相手に勝利すれば問題が解決すると考えるのは間違いだ。
しかし、現在存在している暴力を小さな規模のうちに止めておかなければ、更に大きな暴力が発生するだろうということを見通して、慈愛の心を持って、初期の段階で物理的な手段を使って暴力を止めるのは、非暴力的な動機に基づくものだから容認できる、というのです。
しかし、戦争の是非に関しては、現代のグローバル社会は昔の社会とは異なり、一見敵と見える人も実は私とつながり合っている一体であり、それゆえ敵に戦争をしかけて勝利しようという戦争の論理はもう時代遅れのものだ、と戦争の有効性には否定的な立場を取ります。
「では、アメリカのイラク戦争に関しては、正義の戦いとして容認できるのか?」とマクレナン教授は突っ込みます。
その答えは「まだ情勢もはっきりしていないし、歴史的な評価が定まっていないので、何とも言えない」。
「第二次世界大戦は、後から振り返れば、民主主義と自由を守った戦いとして評価できる」「朝鮮戦争も私は自由を守る戦いと思ってきたが、韓国人の弟子はそう思っていない」「そして、同じような戦争でも、ベトナム戦争はまったくの誤りだったと断定できる」
「このように、戦争だから悪というのではなく、戦争も全体的な状況の中で評価をしなければいけない」
「しかるに、イラク戦争に関しては、まだ全体的な状況が明確でないので、何とも言えない。判断にはあと数年かかるだろう」。
この発言は、私の周りの仏教学者やガンジー研究者や平和運動家たちに衝撃を与えました。
この立場をはたして「非暴力主義」と呼べるのかどうか、ということです。
十字軍」と口を滑らせたりする大統領の専横的政策に苛立ち、反対している人にとっては、ここでダライラマにはガツンと「この戦争は間違っている」と言ってほしかったはず。
それゆえ、失望感も大きかったと言わなければなりません。
しかし、ダライラマはこの後、彼の「現実主義」の立場を明らかにしていきます。
例えばガンジーの断食も「社会的な効果のあるときをねらって行っていた」。
だから宗教的信念があるからといって、断食で命を落とすのは間違っている。
命を長らえて、その分有益な活動を継続すべきだ、といったように。
マクレナン教授は通常なら聞きにくい質問をどんどん投げかけます。
「しかし、ベトナム戦争では結局民族解放戦線のゲリラ作戦が成功した。
チベットでも試みようと考えないのか?」
「ダライラマがチベットに戻るべきだと主張している人もいるが、戻らないのか?」
穏やかな顔をしていながら、恐れを知らぬインタビュアーです。
これらの質問に関してもダライラマは、「まずわれわれの原理は非暴力だ」と述べた後に、「しかしゲリラ戦をやろうにも、武器を運び込む経路もない。
そして中国軍に死傷者がでれば、その分チベット人への報復もある。
無益だ」「80年代にチベットに帰ろうと中国政府と交渉したが無駄だった。
現在は、チベットの地域的問題にこだわるよりも、世界全体がチベット問題を見守ることと、中国政府が民主主義的になることがひいてはチベットのためにもなる。
だから私がチベットに帰国すればいいというものでもない」と非常に現実的な応答を行います。
ダライラマのこの現実主義的な思想と行動は、極端に走ることを諫めるという「中道」の教えとも言えるでしょう。
そして、「極端な理念」「極端な行動」が「現実」から乖離したものとなりがちであり、常に現実を直視するという仏教の教えとは異なるものだと言っているかのように聞こえました。
このダライラマの立場にはもちろん賛否両論あることと思いますが、「世界は良き方向に向かっている」というポジティブな世界観が、この現実主義を支えているように思われました。
さて、長くなってしまいましたので、最後に私がもっとも感銘を受けた場面に短く触れて終わりにしたいと思います。
それは一日目の昼に行われたランチ・レセプションでした。
スタンフォード大学の同窓会館(すごく豪華です)で行われた200人規模のレセプションには私も招待されていたのですが、和やかに食事会が進む中、最後にダライラマのスピーチが行われることになりました。
そのスピーチの前に、これまでチベット亡命政府のアメリカでの活動の中心であり、新設される〈チベット研究イニシアティブ〉の代表となるテンジン氏がダライラマの紹介役としてマイクの前に立ったのですが、万感胸に迫るものがあり、途中からは涙が溢れてきて、もう言葉になりません。
これまでの苦難と、そしてスタンフォード大学にチベット研究部門が創設され、そしてダライラマを招くことができたという感激がいちどに押し寄せたのでしょう。
温厚なテンジン氏の感涙にむせぶ姿は、まさにこれが単なる訪問ではなく、歴史的なものだということを物語っていました。
そして、それを受けたダライラマのスピーチも、思いやりと、未来への希望に溢れた、私たちの勇気をかき立てるものだったのです。
伝統的宗教としての仏教ではなく、まさに現代を生きる(あるいは生きざるを得ない)仏教の姿がそこにはありました
。
前日にインドから日本経由でスタンフォード入りし、すぐさま二日間の過密日程をこなしながら、まったく衰えることのない活力と思考力を持続する「人間力」にも感嘆しましたが、さまざまな問題を包含しつつも、しかし同時代に生きる者の視点から仏教を説き続けるダライラマの姿は、やはり大きなインパクトを与えるものだったと言えるでしょう。
そして、このような催しを成功させてしまう、スタンフォード大学の底力(マンパワー、経済力、ネットワーク力)もあらためて痛感させられた二日間でした。
短いご報告のつもりが、長文になってしまいました。
どうか良いお年をお迎えください。
上田紀行
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最後の方に紹介されているテンジン氏こそが、
チベット100人委員会(日本のそれとは別組織です)の会長で、
ダライラマ財団の事務局長、Darlene Marcovich さんとふたりで
The Missing Peace を発案・創立させた方です。
「ミッシング・ピース 東京展」のオープニングにも駆けつけてくださり、
お祝いしてくださいました。
上田さんのこのレポートを読んで、この時のテンジンさんの心を思いました。
ひとり、アメリカ、カリフォルニアで奮闘し、チベット亡命政府を樹立・運営し、
ご自身がスタンフォード大学の教授となり、チベット研究の学部を創立させ、
ついに、
ついに、ダライラマ法王その人をお迎えしたのです。
この時のテンジン・テトンさんには無上の喜びがあふれていたことでしょう。
こんな瞬間に立ち会ってみたかった!
上田さんのレポートのおかげで追・疑似体験ができました。
それにしても、
「非暴力と言っても、例えば、家族が襲われているとしたらどうするのか?」
こんな迫力ある質問が出るなんて、すごいっす!
瞑想は5分!というのも、納得。
ありがとうございました。
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上田紀行さんの本を読み続けています。
がんばれ仏教!
「生きる力」としての仏教
かけがえのない人間
生きる意味
覚醒のネットワーク
「スリランカの悪魔祓い」などまだ読んでいない本がたくさんあるので、
楽しみです。
投稿情報: 21:03 | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
今日のわたしは青山での用事をすませ、ついでに、
えり華というきもの屋さんに寄り、
草履の鼻緒をすげ替えてもらい、
新品のようにきれいに息を吹き返した草履がうれしく、
ぷうぅらりぷうぅらり...と歩いておりました。
あら?こんなところにこんな店が?(きものを扱うようでガラスの入り口手前でお履き物をお脱ぎください、と書いてある)
まぁ変わってる...。
なんか、いい感じだし...、
ふらりっと入ってみた。
とたんに、
「あらっ、キウチさん!」という声。
「あらぁぁぁっ、わたし、波止場さんの友達。
{ミッシング・ピース 東京展}行きましたよぉ。」
「ほらっ、あそこ見て」と指さす方向には、
「ミッシング・ピース 東京展」のポスターが貼ってありましたぁ。
波止場親子さんとうんと仲良しの方のようで、
「ミッシング・ピース 東京展」でのあの波止場親子のきもの姿も、
その後のバージョンアップきものも、
ぜぇぇんぶ、ご存じなのでしたぁ。
ったく、ほんとに、波止場親子。
強烈!
超・個性的!
オリジナル濃度100%
このブログを読んでくださっている方々ももう波止場親子、すっかり知り合い気分でしょ?
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080222/trd0802221543005-n1.htm
http://www.kanshin.com/community/43044/bbs/3482
きもの熱が冷めないわたしも「ミッシング・ピース 東京展」が終了してから着物率が高くて、
きものでご飯、
きもので歌舞伎、
きもので旅行などといって仲間と遊んでおります。
20数人全員がきもので上野・鈴本に繰り出し、落語を聞いたりしているらしい
波止場組に、
思い切って、
入れてもらおかな。
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